酷暑が続くお盆休みの真っ最中に、突然、岸田首相が自民党総裁選不出馬を表明した。
岸田氏というのは、いつも唐突に事を起こす。 やらなければならない時には、なぜか判断をダラダラと引き延ばし、中途半端な決断を行うのに、予想していない時に突然、周りが驚くような決断を行う。
国民が期待している時には期待はずれの決断を行うのに、期待していない時によくわからない決断を下す。
タイミングが悪い、的外れな政権という印象だけがどんどん強くなっていった。
当初、自負した聞く力より鈍感力だけが目立ち、全国各地で選挙が行われる度に、自民党が勝てなくなってきた今、自民党内では岸田氏を総裁選で担ぎたいという者はどれくらいいるのか。
ようやく不出馬を表明してくれて、自民党が一番ほっとしていることだろう。
その不出馬会見で特徴的だったのは、語尾ごとに見せた口の結び方だ。 もともと岸田氏は口元を強く結ぶ際、上唇と鼻の間をふくらませるクセがある。 ちょうど上の歯と上唇の間に空気が入るようにふくらませるのだ。
自分の意志が強く働く時、感情の動きがあるような時は、このふくらみが大きくなる。 口元に力が入って、唇が巻き込まれ、鼻の下がぷくっとふくらんだようになる。
それほど強い思いがない時は、口の結び方もごく普通。 だから口を結んだ時、どれくらい鼻の下がぷくっとふくらむかによって、岸田氏の思い入れの強さが計れるというわけだ。
その前提で会見を見ると、自民党が変わるために「最もわかりやすい最初の一歩は私が身を引くことにあります」「総裁選には出馬しません」という時は、言葉に力がなく、口元にも力が入っていない。 「一兵卒として支えていくことに徹してまいります」という時もそうだ。 不出馬に対して悔しさが滲んでいるというよりも、諦めたからもういいや、という感じだろうか。
だが総理総裁だった3年間の実績について述べている時は違った。 声に力がこもり、ひとつひとつを強い口調で述べていき、その度に口元をふくらませる。首相として実績を上げたんだというプライドの強さが見えてくる。
なのに「国民の方を見て、決断させて頂きました」と再び不出馬を口にした時も、口元に力が入らない。
「組織の長として責任を取るため、いささかの躊躇もありません」というが、いささかという言葉に詰まってしまう。 責任を取ることに躊躇はないが、こういう責任の取りかたは想定していなかったのか。 述べた後も口を強く結ぶこともない。
いささかの躊躇もなかったのなら、なぜ自民党改革をバッサリとできなかったのか。 この3年、それができるタイミングはいくらでもあったはずだ。
これからの総裁選について「我こそはと思う方は積極的に手を上げ、真剣勝負の議論を戦わせてほしい」といいながらも、言葉に力はこもらない。 後のことは、次に任せるという感じすらしない。 自分は抜けるから、一気に興味関心が薄れたという感じだ。
岸田氏の口元を見ていると、不出馬しなければならなくなった悔しさや不満より、実績としてあげてきたものをきちんと評価されなかったことへの不満を強く感じてしまう。
最後には「政治家岸田文雄として、引き続き取り組まなければならない課題があります」とデフレ型経済からの脱却やGDP600兆円について話す時には、再び口元を強く結んだのだから、やりたいこと、やり残したことがまだあったことがわかる。 総裁選不出馬より、やりたいことが最後までできなかったという心残りの方が強い感じだ。
これからの総裁選に向けて、「何よりも大切なのは、国民の共感が得られる政治を実現することにある」と語った岸田氏。 ここでそれが言えてしまう、その鈍感力はやっぱりすごかった。