謝罪するのは難しい。うまい謝罪会見なんて、100のうち1つもないのが現実だ。
謝罪文も同じで、不祥事やトラブルを抱えた企業や団体、個人が出した文章で及第点が取れるものは少ない。
昨年12月、女性トラブルで9000万円もの解決金を支払っていたと週刊誌などで報じられた中居正広さんが、1月9日、自身の公式ホームページ「のんびりなかい」に謝罪文を掲載した。
うまく練れているという意見もあるが、ほとんどは「まずい」「不可解」と散々な評価だ。
中居さんが示談により支払ったという解決金は9000万円! 驚きの額だ。 それだけ支払って示談にしてもなお、どこからか情報が洩れてしまったということにも驚く。
情報社会の今、トラブル処理にいくら払おうが、秘密にすることなんてできないということだ。
年が明けたとたん、テレビ局は次々に彼の出演する番組の予定を差し替え、彼の姿を映像から削除し、収録を中心し、番組を休止した。 あっという間に彼の姿がテレビから消えた。 社員の関与が報じられたフジテレビは、それを否定しただけで調査したのかどうかもわからない。
そうした中、中居さんが謝罪文を出した。
トラブルは事実と認め、守秘義務があるため発信を控えていたといい、双方の代理人を通じて解決済み、暴力はなかった、当事者以外の関与はないと言及。自分が至らなかったと謝罪した。
守秘義務があるから、内容を詳細に説明するわけにはいかない。 言えるのは、この謝罪文も内容ぐらいだったのだろう。
なのに批判が殺到したのは、この一文があったから。 「なお、⽰談が成⽴したことにより、今後の芸能活動についても⽀障なく続けられることになりました。」
公式サイト「のんびりなかい」に掲載されたお詫び文
こう書きたくなる気持ちもわかる。
示談が成立し、守秘義務条項を入れた契約書を交わし、解決金を支払えば、それでもう大丈夫だと思っただろう。
ここまでやったんだから芸能活動は今まで通りやっていける、続けることに支障はない、そう思っていたと思う。
裏返せば、この問題は芸能活動に多大な支障をきたすことがわかっていたということだ。
だがメディアやネットにあるように、芸能活動を続けられるか否かは本人だけが決めることではないのも確かだ。
もしこの文章の語尾が違っていたら、その印象もずいぶん変わったはずだ。 「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになったと思っていました」
その後すぐに「誠に申し訳ございませんでした」と謝罪文を入れていたら、ここまで批判が殺到しただろうか。
会見を求める声もあるが、守秘義務があるという彼に会見は無理だと思う。 憶測による詮索はしないでほしいと書かれていたが、憶測が憶測を生む。
今はテレビ局がそれぞれきちんと調査して、判断するのを待つしかない。