東京オリンピックもそうだった。 招致活動段階で広報された予算は7340億円。 だが、実際にかかった経費はその倍の1兆4238億円。 公費による負担は4327億円から7834億円で1.8倍になった。
2025年に開催予定の大阪・関西万博にかかる会場整備費は、すでに当初見込みの倍、2350億円になっている。
なぜこんなことが繰り返されるのか???
組織委員会や官僚の予算の立て方がおかしいんじゃないの?と、思うわけで。
ではどうして、彼らはこうなることを見越して予算を立てないのか。 景気の動向なんて読めないし、社会環境の変化も予知できないということかもしれないし、実際、そんな言い訳がこれまでにもされてきた。
だが一番の問題は、官僚をはじめとする予算を立てる側の人間が持つ「計画の誤謬」。 このバイアスは、あらゆる計画に対して予算や所要時間などを甘く見積もって計画を立ててしまうという心理傾向だ。
そして、たぶんうまくいくだろう、なんとかなるだろうという楽観バイアス、 先の事は現実的より抽象的になりやすいという解釈レベルの問題が、計画の誤謬を後押しする。
それ以外にも官僚は、自分たちの方が偉いと思いやすく、その自分たちが立てている計画だから間違いないという根拠のない自身を持っている人がかなりいる。 そういう人たちは、外部の人間の言うことには耳を貸さない。 貸すだけの価値があると思っていない。
結果、最終的に予算オーバーしそうでもあれやこれやと理由や理屈をつけて、押し通してしまう。
サンクコスト、今まで使った金が無駄になるという埋没費用に目がいくのだろう。
見直しや中止にでもなったら、見通しが甘かったことが確定されて評価はマイナス。 大阪万博はまさに今、その状態に陥っている。
昨年は一時期、会場に造られる大屋根のリングが必要か否か議論されていた。 あんなリングで日除けができるわけもなく、わざわざ必要のない物を、この時期のためだけに造るバカバカしさ。 巨額の税金を投入するという無駄使いを、よくわからない理屈と理由をつけて説明する大臣が間抜けに見えたが、いつの間にか話題にもならなくなった。
厚生労働省も見立てを間違った。コロナワクチンの廃棄分は概算で約6653億円にもなったのだ。 税金の無駄使いなのに、厚労省は必要だったといい訳する。
国が所管する基金は180超で、新型コロナウイルス対策で積立額が膨らみ、全体の残高は16兆6千億円に積みあがった。 それだけ無駄に予算を立てて、税金を割り振ったということだ。
このうち10基金は無駄と判断され、千数百億円が国庫に返納されるという。
たぶんいらない基金はまだまだあるし、大阪万博も各国のパビリオンの建設さえも間に合わない万博を開催する意味があるのか。延期するか中止したほうがいい。
せめて予算オーバーがわかった段階で、計画の見直しをする勇気が官僚にあればいいのだが。 日本の官僚や官僚組織には、それがむずかしいんだろうねぇ・・・