謝罪するのは難しい。うまい謝罪会見なんて、100のうち1つもないのが現実だ。
謝罪文も同じで、不祥事やトラブルを抱えた企業や団体、個人が出した文章で及第点が取れるものは少ない。
昨年12月、女性トラブルで9000万円もの解決金を支払っていたと週刊誌などで報じられた中居正広さんが、1月9日、自身の公式ホームページ「のんびりなかい」に謝罪文を掲載した。
うまく練れているという意見もあるが、ほとんどは「まずい」「不可解」と散々な評価だ。
解決金を支払い、示談にしてもなお、どこからか情報が洩れてしまったということに驚く。 情報社会の今、トラブル処理にいくら払おうが、秘密にすることなんてできないということだ。
トラブルは事実と認め、守秘義務があるため発信を控えていたという。 双方の代理人を通じて解決済み、暴力はなかった、当事者以外の関与はないと言及。 自分が至らなかったと謝罪した。
守秘義務があるから、内容を詳細に説明するわけにはいかない。 言えるのは、この謝罪文の内容ぐらいだ。
なのに批判が殺到したのは、この一文があったから。 「なお、⽰談が成⽴したことにより、今後の芸能活動についても⽀障なく続けられることになりました。」
芸能活動を続けられるか否かは本人だけが決めることではないと、散々に叩かれた。

公式サイト「のんびりなかい」に掲載されたお詫び文
示談が成立し、守秘義務条項を入れた契約書を交わし、解決金を支払えば、もう大丈夫だと思っただろう。
芸能活動を続けることに支障はない、そう思ったのかもしれない。
裏返せば、この問題は芸能活動に多大な支障をきたすことがわかっていたということだ。
だがそもそもなぜ、彼はこの文章を掲載したのか???
他の人が書いた、弁護士がスカタンした、などの意見があるが、それでも本人が確認していないはずがない。
示談による事実を述べただけだったということか。
もし文章の語尾が違っていたら、印象は違うものになっていたかもしれない。 「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになったと思っていました」
この文章なら、そう思い込んでいた、思いたかったというニュアンスになる。
憶測による詮索はしないでほしいと書かれていたが、憶測するしかない。